1. 榎本好宏作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.8 2015年7月発行
榎本好宏 選

 もう二十年以上も前からのことだが、各和正雄さんは私の俳句教室に通って来てくれていた。それも電車をいくつか乗りかえてである。その各和さんが三年ほど前だったか、「女房の介護があるので」と、句会を辞めた。「大変だろうな」と思うしか、私には何もできなかった。ただ、「航」誌を立ち上げた折、維持会員として参加してくれていたから、俳句は続けておられるのだろうと思っていた。
 この四月になって突然各和さんから電話がかかってきて、加療していた奥さんを施設に入れ、当の各和さんも同じ施設に入れたので、これからは俳句も作れるし、「航路集」に投句するので、よろしくお願いします──旨の話だった。間もなく、約束通りの葉書きが届いた。年齢欄には九十五歳とある。
 今月の巻頭句は、迷いなく各和さんのこの一句を選んだ。
仏壇も共に入所す花辛夷
各和 正雄
 体は元気だと言われるが、終の棲家になるかも知れない施設への引っ越しは大変だったに違いない。こんな時、まず何を持っていかれるかだが、やはり仏壇だった。私事で恐縮だが、東京大空襲の折、叔父達がリュックに位牌を詰めて逃げ回り、空襲の難を逃れている。そう思うと、各和さんのこの決心も大変だったろう。
 ただ各和さんのもう一つ感心することは、別の句に

   振り返ることはすまじき春疾風

と詠まれている世界である。そういう私などもやはり、この「振り返る」ことの繰り返しがあるため、自からを苦しめている。私に限らず多くの人々が、各和さんのこれら作品から学ぶことになろうと思う。
虚子好みに立子煮て来し筆の花
山本たか子
 筆の花とは土筆のこと。その土筆を虚子が大好きだったとか、土筆煮を立子が虚子に届けたという史実があるのかも知れないし、なかったかも知れない。フィクションであってもかまわない。仮に作者が土筆煮をこしらえ、虚子が好きそうだなと思ってもいいし、娘の星野立子なら届けるだろうな、と思ってもかまわない。土筆と言えば私は、立子の

  まゝ事の飯もおさいも土筆かな

を思い出す。
田水張る前の一日小走りに
齋藤 律子
 農家にとって、田に水を張るという日は大忙しである。その手順を一つでも狂わせたら大変なことになる。田植え等が機械化された現代でも同じだろう。今でも手を貸し合う「結い」の制度が残っているし、裏方は裏方で、食事の準備のこともある。まさに前日の「小走り」なる言葉が目に見えるようである。
耕人の髪のしんまで日の匂ひ
坂本 りき
 本格的な作業に先がけて、田畑では耕しが始まる。単純に見える作業だが、この出来不出来が、作物の収穫にかかわるから大変だ。春の日差しとはいえ、一日それにさらされていたら、日焼けだけでなく、日の匂いまでが肌にしみこむのだろう。この一句は、農作業から帰ったご主人への感想だろうか。
前掛けを急ぎ丸めて神輿渡御
田口 愛子
 この作者の住んでいる辺りの神輿だとすれば、浅草の三社祭のそれだろうか。家の中で家事をしていた作者が、お囃子と共にやって来た神輿を見るために、外に出たのだろう。本能的に前掛けを外したのも、神輿が神だからだろう。私の知っている祭りは、二階から見ただけでも、「神を見下ろす」として、神輿に家の一部を壊された。
初音して木椅子の傾ぎ谷戸の寺
赤木 和子
 谷戸の寺というから、鎌倉の谷あいにある寺だろう。木々も多いから鶯の初音の聴こえるのも早い。そんな初音に、「おや、初音」と言いながら、木の椅子をきしませ声の聴こえた方に体をかしがせたのだろう。その谷戸もやがて、鶯の声の満ちあふれる場となる。
青葉梟絹運ばれし峠道
八木美恵子
 青葉梟は青葉木菟とも書いて、その名の通り青葉の五月ころ渡ってきて、十月ころ帰る。「絹運ばれし峠道」とあるから、かつて横浜と八王子を結んだ日本のシルクロードの道筋だろう。この道筋なら、今も蛍で知られるところがある。
山寺の山傾けて滴れり
柏倉 清子
 ここで言う山寺も、一般の山の寺の意にも取れるが、やはり山形県の立石寺として読むべきだろう。芭蕉が

  閑さや岩にしみ入る蟬の声

と詠んだこの寺は、宝珠山の山腹にあるだけに、「山傾けて滴れり」が言い得て妙だ。
雪解けの音にいちにち囲まれて
馬場 忠子
 作者の住む南会津町は豪雪地帯だから、雪解の規模にもすごいものがある。この地上にある雪がすべて解けるのだから、「音にいちにち囲まれて」は、想像することさえできない複雑な音に違いない。
焼印の匂ひありけり遍路杖
藤川三枝子
 遍路には杖は付きもの。その遍路に出かける人の真っ白な杖に黒く焼印が押されてあって、それが匂っているというのだ。遍路への出立ちの景だろう。