1. 榎本好宏作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.3 2014年9月発行
榎本好宏 選

 七月号のこの欄で、福島県会津と岐阜蝶の話を書いたら、岐阜蝶の発見地にお住まいの田口冬生さんから長い手紙が届いて、もう一件、岐阜と会津との縁を知らせてくれた。
 例の戊辰戦争の折、会津若松にある鶴ヶ城へ、岐阜の郡上藩から援軍が送られたが、逆賊の罪を着せられ全員が自刃したのだという。その墓が、郡上市八幡の慈恩寺に残っていて、ちょうど泉岳寺に残る赤穂浪士の墓のように整然と並んでいるのだともいう。
 この郡上市には、藍染めの名人、渡辺庄吉さんが住んでいて、随分昔のことだが、田口さんの案内で、森澄雄先生らと訪ねているが、この話は知らなかった。
 さて、今月の巻頭句には、次の一句を選んだ。
新緑や人それぞれに谺あり
蒲田 吟竜
 谺はもう一つ傍題季語に木霊がある。そのことから、樹木に宿る精霊の意ともされる。山彦もまた山の樹木に宿る精霊のなせる業とされてきた。そんなこんなを考えながらこの一句に向き合うと、「それぞれに谺あり」の文言に、どこか霊的なものさえ予感されてくる。私も今月号の別稿に、知人の追悼句として
  万緑の木霊のどれも戻らずに
を発表しているが、蒲田さんの一句の方が、はからいがなくていいのかも知れない。
夏燕安曇野田の面山葵田に
村上 正己
 かつて安曇野は私の好きな吟行地だった。どこにも水が溢れるこんな光景が続く。ここを支配した安曇族は海賊だとされ、今も農家の軒下に小舟が吊ってある。しかし正確には、古代の海人、阿曇部を率いた豪族で、『古事記』にも「ウワツワタツミノカミの子孫」と書かれてある。それはともかく、安曇野の大景を、よくぞここまで伝えてくれた、と感心させられる一句だ。
水三日寝かせて父の田植かな
髙部せつ子
 なぜ田水を三日寝かせるのかだが、こういうこともあろう。例えば長野県の佐久地方では、山水を田に直接入れるには冷たすぎるので、遊水堀を巡らせて田に引いた。この遊水堀が後の佐久の養鯉業につながった。もう一つは引いた水と田の土をなじませるのに三日を要したのかも知れない。こんな話も残っている。田の主は、毎日田の周りを歩き、足音を稲に聞かせよ──。こんな時代を送ってきたお父さんだったのだろう。
芍薬の散りて戒め解かれたる
別所 信子
 わが俳諧の森川許六は、芍薬の花を例えて「いまだ嫁せざる娘の齢も二八あまりたるが、寝よげに見ゆる心地ぞする」と妖艶な例えをしているが、芍薬は牡丹と共に高貴なイメージがある。その芍薬の花が散って、自らにかかっていた戒めが解けたという感性は、この芍薬の花の持つ実を言い当てている。
魚市場仕舞ふ水音花南瓜
赤木 和子
 市場好きの私も、旅に出ると必ず魚市場をのぞく。ただ朝寝坊の私が出掛けるころは、大方がこんな光景である。せり人はもちろん、魚を運ぶトラックも出払って、一面のコンクリート面に水を撒く人の声が、場内に反響しているだけである。でも賑わいの後の、こんな場面が好きである。場内の外れに、折から花を咲かせている南瓜との取り合わせが絶妙である。
鍬握る形に母の午睡かな
齋藤 律子
 お母さんはかなり年配の方なのだろう。そのお母さんが昼寝をしているというのだが、寝姿がさながら鍬を持つ形をしている。農を業としてきた習慣なのだろうが、一抹の寂しさを感じながらも、逆にユーモアも感じる一句になった。
僧列にひとつ新し網代笠
宮下  徹
 網代笠は、僧が托鉢する時などにかぶる笠だが、その中の一人だけの笠が真新しいという。恐らく、若い僧がこの行に加わったのだろう。僧の顔は見えないが、作者の目には、その一人が新鮮に映ったことだろう。
ぽつぺんぺこり古里に飛魚揚がる
上春 那美
 ぽっぺんは長崎の郷土玩具で、長崎を古里とする森澄雄夫人から私も頂いたことがある。あの吹いた時の音を、「ぽっぺんぺこり」の擬音で表現したが、これが絶妙だ。飛魚もあの辺りの海で獲れる。
紅型の花の色さへ沖縄忌
富田  要
藍瓶に泡立ち出しぬ沖縄忌
藤川三枝子
 両句とも季語は沖縄忌。昭和二十年四月から、米軍五十五万人が沖縄に上陸、軍人、一般人合わせて十八万人が戦死した。沖縄では六月二十三日を「慰霊の日」と定め、これが季語、沖縄忌となった。私の叔父も、米軍が上陸して間もない四月三十日に戦死した。
 この重い忌日を知っている者にとって、沖縄のあの重厚な紅型の色合いも、藍の重い発酵も、共に忌日を支えるに相応しい斡旋であると思う。