1. 榎本好宏作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.33 2019年9月発行
榎本好宏 選

  
 この三十年間に百数十回通った福島県の奥会津は、私の第二の古里でもある。ここで学んできたものは、自然と人間の触れ合いの原点でもある優しさだったかも知れない。その奥会津の人達と、在京の「航」の会員の交流が五月に適った。折から奥会津は桐の花の咲く頃、中でも桐材の産地、三島町の花はことのほか素晴らしい。このことをよく承知している私は、一行より一日早く現地に入り、もと三島町の職員で、「航」の同人でもある鈴木隆君の案内でコースを設定した。
 その結果はすぐに表れて、この吟行に参加した太田かほりさんが
  
曲がるたび狼煙台めく桐の花
太田かほり
と詠んでくれた。コースは中型バスのやっと通れる谷あいの細い道だから、まさに「曲がるたび」が実景。しかも彼女が目にした桐の花との出会いが狼煙台だった。言い得て妙である。かつては、ここ三島町もそうだが、越後との交流は、六十里越えや八十里越えの山越えのルートと、脇を流れる只見川を使う水運に限られていた。
 その只見川の三島町辺りに戦中、ダムが完成、ついで貨物運搬の只見線が敷かれ、現在は十一のダムが只見川に連なる。三十年前に出会った当時の三島町の町長だった佐藤長雄さんは、ダムの建設された経緯や、越後からの旧道を通って三島町にやってくる人々との交流の話などをしてくれたが、その中に昔々は山々に狼煙台があった話などもしてくれた。そう言えば、只見川沿いに聳える山の連なりはまさにそれに相応しかった。
 しかし狼煙はもともと戦略的な伝達のため利用されたから、この地にはあり得ないことと思いつつも、山の連なりから、狼煙台のイメージが私のうちにはいつもあった。恐らくこの地に初めて入った太田さんも、山々の連なりから同じ発想を持ったに違いない。しかも、そのイメージを頭に置きながらズームアップしていくと、太田さんの脳裏では桐の花が狼煙台に変じていく。そして詩が生まれた。
 折角の詩を壊すようだが、狼煙と書いて「のろし」と読むのは、大昔に狼の糞を焼いて使ったことによると物の本にはあった。
好物が百ある夫へ心太
山口一枝
 私事を書いて申し訳ないが、この句の作者、山口さんは私の母の古い俳句仲間の一人だから、この一句の成り立ちの事情もよく見えてくる。一句に「好物が百ある夫」というご主人は、かつては物書きで、食べ物に贅沢な人だったと仄聞いていた。また、後に歯の手入れが十分でなく虫歯となり、食事は奥さんの細かく刻んだ物しか口に出来なくなったとも伝え聞いていた。こんな事情は改めて書かなくてよいのだが、贅の限りを尽くしてきたご主人に、今日は心太を突いて出して上げる。ご主人の全てを知り尽くしている上の心太に、どこか、現代人が忘れかけている滑稽がありはしないかと思う。滑稽とは本来、この句のようにほのぼのと温かいものなのである。
南瓜咲く雄花ばかりの妻の畑
齊藤眞人
 数坪の土地を借りて作っている貸し農園の一景であろう。この農園に奥さんは南瓜の種を播いた。今年は幾つかの南瓜の収穫があろうと思っていた期待に反して咲くのは雄花ばかりだという。雌花が咲くと、花のあと実が膨らみ始め、下に藁を敷いたりして忙しくなる。しかし案に相違して、咲く花は雄ばかり。この場にいるお二人の顔色も言葉も、読む側に伝わる具象が裏にはある。この一句も、フッと一息つきたくなる滑稽味をたたえていると言える。
切通し武者には狭し岩煙草
岩井充子
 切通しとあるから、これは鎌倉の景であろう。鎌倉幕府がこの地を要害の地に選んだのは、背後を山々が遮り、前方が海で、鎌倉に入る街道七つは全て切通しだから、いざという時はここを塞げばそれにかなうからだった。しかし、この句に言う切通しはこれでなく、街中にも沢山あるそれを言う。作者はそんな切通しを通りながら、武士がこの道を通ったら、腰の刀や兜が岩にぶつかって音をさせただろうと類推する。こんな切通しの崖には不思議と岩煙草が一面に花を付けている。
花茣蓙の端に座りし京の人
松岡郁夫
 花茣蓙に一緒に座る間柄だから、このモデルは親しい関係の人と類推できる。とは言え何度勧めても茣蓙の真ん中には座らず、隅の方に畏まって座す。その挙措の全てを見ていた作者は一瞬、この方は京都生まれだったと思う。京都人の身に付けた文化とはまさしくこうなのである。
川薄暑かうもりがさのあれ荷風
秋山 健
 私の若い頃は浅草の六区街の劇場の緞帳に、永井荷風の名が織り込まれていたりもしていたから、その名が懐かしい。その浅草辺りを流れる隅田川の川辺に、こうもり傘を差している人を見掛けて、ふと「もしかして荷風?」と思うことも、あり得ることである。
地球儀に埃うつすら昼寝覚め
原山テイ子
 現役を離れると誰もが昼寝が日常化してくる。そういう私も、罪悪感は伴うが、昼寝が当たり前の日常になっている。起きた時に「もうこんな時間!」とこの作者も思う。飾ってある孫の地球儀に西日が差し入り、上にうっすらと埃が見える。「地球儀に埃うつすら」のリアリティーが見事だ。
舟大工の釘の手入れや朝曇
藤川三枝子
 大工という仕事の朝は、その日使う釘の手入れや用具の準備から始まる。その朝が曇りなら釘の刺さり具合い、釘の寸法まで気配りしなければならない。この一句は、そんな場面を言い当てている。
遠雪崩友への便り書く夜かな
岡本りつ子
 岡本さんの住む奥会津は、春先に多くの雪崩が見られる土地でもある。それまで三、四か月雪に閉ざされていた人にとって、まさに春の気配である。今夜は手紙でも書こうという気にもなってくる。
舟宿の舟出払ひし青簾
保坂定子
 舟宿の朝は早い。暗いうちから起き朝食を済ませ、日の出の頃には出払っている。やがて差してくる朝日に青簾も、徐々にその色を際やかにしてくる。