1. 榎本好宏作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.17 2017年1月発行
榎本好宏 選

 私の第二の故郷とでも言える、福島県の奥会津に行ってきた。十月の末だったから、只見川中流辺りの柳津町や三島町では紅葉に少し早かったが、上流の只見町は紅葉の真っ盛りだった。土地の何人かの方から、この銀杏が散ると雪が降るんですと教えられた。
 また、久し振りに訪れた、只見町の河井継之助記念館には亀虫が、館内の壁はおろか、ガラス窓、果ては床にまで入り込んでいた。私の子供の頃、群馬では屁放虫と呼んで緑色だったが、ここ奥会津のそれは茶色で、白いものを好むから白壁や洗濯物にも集まる。この虫の多い年は雪が多いと土地の人は言う。私の只見の定宿「遊ら里」では、職員がガムテープを千切っては、この亀虫を採っていた。
 さて、今月の巻頭句は、思案の揚げ句に次の一句を選んだ。
追ふたびに群れのふくらむ稲雀
馬場  良
 稲が実り始めると、雀をはじめ、いろんな鳥が周囲にやってくる。そのため農家では案山子以下、いろんな鳥を威す仕掛けを田の周囲にこしらえるが、鳥の勢いをなかなか止められない。ここで言う雀の群れも、素人目には結構楽しいが、農家にとっては大迷惑である。
 ことに東北地方にやって来るのは入内雀と呼ぶ稲雀で、学者の中西悟堂さんなどは、一反歩の田も三、四回襲撃されると、たちまち食い尽くされると書いている。この雀、和名は新嘗と呼ぶが、実った稲を人間より先に食べるので、この名が付いた。ついでに書けば、追放された中将藤原実方が、台盤所(台所)の飯をついばんだため入内の名がついた。少し余計なことを書き過ぎたようだ。
研師来てをり八月の石畳
山口悠紀子
 研師が今でもやって来るのだろうか、それとも作者の古い記憶なのだろうか。いずれにしても、こんな研師がよくやって来た。辺りを、「ハサミ、バリカン研ぎ」と大声で呼ばわりながら、井戸や水道の使えるところに陣取って、包丁などを研ぎ始める。どの家にも荒砥や仕上げ砥はあるが、研師にはかなわないから持って来ることになる。この句の舞台も、木陰の石畳の上なのだろう。
朝冷や嶺みねの名を左より
吉田 洋子
 吉田さんは若い頃、私の疎開していた群馬にお住まいと聞くから、群馬の「嶺みね」のことだろうか。私の居た所から真西になだらかな浅間山が見え、続いて、順は定かではないが、白根山、妙義山、榛名山が北西に見え、続けて長い山裾を西に延ばして、真北に赤城山が望めた。たぶんこの五つの山を上毛五山と呼び、小学校の運動会の組分けに使われた記憶がある。吉田さんも、見渡せる山々の名を、子供心にかえって一つずつ呟いたのだろう。
酒蔵の活気づきたる一位の実
保坂 定子
 その年に穫れた米で作る酒を新走りと呼んでいる。ただ、現在の大方の酒蔵は、寒の水を使うと味が落ちないので、寒造りが主流となっている。しかし、この酒は昔通りの秋造りなのだろう。その忙しい人の行き来の側にある一位の実が赤く色付いてきているのだ。この一位の実は甘いので、行き来の人がつまんだりしているのかも知れない。一位は別名アララギとも言うから、伊藤左千夫の短歌機関誌「アララギ」も、この一位のことだろう。
照紅葉芝居一座のやうにかな
太田 直史
 紅葉の美しさも陽の射し方で随分と違う。中でも陽を真正面から受け、照り映えているものは、とくに照紅葉と呼ばれている。そんな紅葉に出会った作者は「芝居一座のやう」と比喩の形で表現している。一般に見る紅葉なら、木の葉や色や木の枝ぶりが仔細に見えるが、照紅葉ともなると、その仔細が消え、紅葉の木自体が作者を圧倒するように思えたのだろう。そんな思いは、昔、どさ回りでやってきた芝居一座に感じた威光にどこか似ていると思ったのだろう。
木犀の香り重たき日のありぬ
吉田みのる
 通りすがりに、よその家の庭から漂ってくる木犀の匂いはいいものだが、わが庭の木として植えてあったら、その匂いのきつさは少々辛いかも知れない。この一句からもそんな思いが伝わってくる。好きだから植えたのだろうが、あの匂いが、日によって重たく感じられるというのだろう。
如何とも包丁ぬけず大南瓜
蓮井美津子
 南瓜好きの私もよく買って来るが、スーパーでは四分の一、八分の一の大きさに切ってあるから難儀しないが、大南瓜が一個手に入ったら手に負えないだろう。とくに固いものに刃を入れたらこんな仕儀になる。滑稽味のある一句になった。
吊し鮭そびらに荒るる日本海
太田かほり
 三年余もいた北海道も想像できるが、この景は、新潟県も山形寄りの村上市の風景であろう。村上茶でも知られるが、季節になると浜のいたる所に鮭が干されてある。折から日本海の荒れる冬の季節となる。
秋しぐれ鱗めきたる千枚田
三浦  郁
 千枚田にも、季節季節の顔がある。田水を引いた春の顔、稲の茂った夏の顔、黄色く色づいた秋の顔―上から見下ろすだけに、それぞれの顔に特徴がある。しかし、冬を思わせる時雨が降り出すと、もう〝顔〟ではなく、魚の鱗のように見えてくるというのだ。
どの木にも由来それぞれ冬構
馬場 忠子
 作者の住む奥会津は雪の多い所。それゆえ木々の冬構も頑丈に作る。子供の身丈ほどの植木にも、太い丸太を使う。そんな作業をしながら、それぞれの木を植えた折りの由来が思い出されるというのだ。