1. 榎本好宏作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.4 2014年11月発行
榎本好宏 選

 九月の東京の「くすのき句会」にこんな一句が出された。

   月待ちのラーゲリに遺書そらんじて

 作者は日高俊平太さんだが、我々の世代ならともかく、少し若い層には、この中で使われた「ラーゲリ」の言葉さえ理解されそうもないので、その辺から少し書いてみる。
 太平洋戦争終結の一週間前に参戦した当時のソ連は、終戦と共に、中国東北部にいた日本兵五、六十万人を自国に連れ帰り、シベリア等の収容所に入れ、シベリア鉄道の敷設等に従事させた。この収容所が、この句に言う「ラーゲリ」である。
 この極寒の地で、飢餓と疲労等で、五万人余の日本人が死んだ。その死んでいく人達は家族に、仲間に遺書を残したのだろう。収容者は戦後、順次日本に帰され、遅い人の帰国は昭和二十五年にもなっていた。
 帰国の際、紙の類いを一切持たされなかった。例えばこの遺書さえも許されなかったのである。それゆえ遺書の全文を暗記せざるを得なかった。一句の「遺書そらんじて」の表記はそのことである。日高さんは身内か知人の誰かからこのことを聞き知り、心中に重くあったに違いない。しかも、月のイメージとこの事柄を重ねて半生を過ごしてきたのだろうとも思える。
 さて、今月の巻頭句だが、これまた、ある年代層にしか理解してもらえない次の一句を選んだ。
世間さま大事の家訓夏座敷
太田 直史
 かつての親は、子供を育てる折に、必ず世の中に出て、人様に迷惑をかけないように教育した。この句に言う「世間さま」もその一つだ。それを「世間さまに後ろ指をさされないように」などと言いながら育てた。作者も日常そう言われながら、これが「我が家の家訓」と思っていたに違いない。座五の夏座敷なる季語から、私などは、欄間に掛けられてある先祖代々の肖像画が、にこやかにこちらを見下ろしている場面を想像している。
抽出しの隅の八月十五日
原山テイ子
 昭和二十年の終戦の日から、来年は七十年になる。その日を知る人も随分と少なくなった。投句用紙に書かれた作者の年齢から類推すると、この方はまだ幼児だったはずである。だとすれば「八月十五日」とは、その日に写した白黒の記念写真かも知れないし、遊びに使ったお手玉やおはじきなのかとも想像する。日ごろ、抽出しを開けるたびに、幼時のころの、あの八月十五日に記憶が戻っていくというのだろう。
比良よりの風吹きおろす赤とんぼ
篠田  游
 「比良」とは、琵琶湖西岸の比良山のこと。ここの比良明神で、二月二十四日に行われる菅原道真の法要が比良八講で、この日に吹く比良八荒なる風は恐れられ、春の季語になっている。その比良山から吹き下りてくる風も、もう秋だからのどかなものに違いない。早いもので、既に赤とんぼさえ、その風に乗って下りて来るというのだろう。
今年桃ひとつ多くし盆用意
松岡 郁夫
 このお宅もそうかも知れないし、ご先祖も桃が大好物なのだろう、盆棚には必ず桃を供えることにしている。しかし、今年は新仏ができ、いつものお盆より、桃を一つ増やしたのかも知れない。月遅れのお盆なら、そろそろ水蜜桃も出始めるころ、盆支度の辺りに、あの桃の甘い香りが漂っていよう。
逆緣の灯籠抱き来流しけり
佐藤 享子
 仏教で言う逆緣とは、順当な因緣でないことを言い、一般には親が子の供養をすることを指す。我が家のことで申し訳ないが、私の弟と私の家内に先立たれた母は、この逆緣を嘆いた。掲句の方もそうなのだろう。「抱き来」と「流しけり」の間に時間が生まれ、当人と作者の間に交わされた会話までもが読み取れる。
簡単服裾くけるだけ水撒きに
金田 弥生
 また古いことを書くことになるが、終戦後の女性が真っ先に着始めたのが、簡単服の名のワンピースだが、これも夏の季語。当時は裾も長かったから水撒きには不便。針や糸を持たなくなった人のため、「くける」に漢字を充てれば「絎る」で、表に縫い目が見えないよう縫った。つまり水撒き用に丈をつめたというのだろう。
盂蘭盆や姓を同じく村十戸
青山 幸則
 飯田龍太の第一句集『百戸の谿』の「百戸」なら、ある大きさの集落も見えるが、「十戸」となると谷合いや、海、川沿いに寄り添うようにある集落が見える。祖先が一緒で同姓だから、屋号か名前で呼び合う。祖先が同じだから、お盆には互いの家々の行き来が盛んになるに違いない。
藁火高く鰹炙りてをりにけり
長田 敬子
 鰹の叩きを作っている場面で、東京の料理屋でもこんな風に作ってくれるが、これは本場の土佐で見た感動の場面だろう。「高く」に驚きの思いが込められた。
軍靴重く兄戻り来し葉鶏頭
石井 文子
 終戦になるや軍人は家々に帰ってきた。内地にいた人は翌日から帰宅したが、この兄さんは葉鶏頭の季節だから、外地から復員したのだろう。妹としての感動が見えるようだ。
昼すぎの鼓誰がうつ終戦忌
日高俊平太
 十一月号の締め切りの季節から、戦争がらみの句が多く、これもそんな一句。八月十五日の玉音放送は正午からだったが、この日の午後は誰しもが、解放感より虚脱感を持ったはずである。この一句の何気ない「昼すぎの」の言葉に、そんな思いが重なる。