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  3.  |航路抄 
No.6 2015年3月発行
榎本好宏 選

 新年明けましておめでとうございます。多勢の「航」の会員の方からお年賀を頂きましたが、いちいちお返事を差し上げられませんでしたので、この欄をお借りして改めて御礼申し上げます。
 この三月号で、ちょうど一年間「航路集」の選を担当してきましたが、その間に気付いたことを少し書かせてもらうことにする。
 一番言いたいのは、多くの方の俳句の文体が、まだ韻文でなく散文の文体で書かれていることかも知れない。それも「○○に行って○○を見て感動しました」的な報告の書き方になっている。とにかく、理屈ではなく、名句と言われる作品を多く読むことだろうと思う。その折、声に出して読むと、韻文としての調べが自然に身についてくるものである。
 今月の「航路抄」の巻頭には、こんな一句を選んだ。
注連を張る大杉までの輪樏
齋藤 律子
 この冬は十二月から大雪となり、会津の方も大変なことだろう。この句に言う大杉は社のご神木なのだろうか、それとも旧家に代々伝わる大杉なのだろうか。その杉に毎年注連を飾るのだろう。普段人のあまり入らない辺りだから、雪でも降れば輪樏(わかんじき)を履くしかない。しかもその難儀さを、この作者は淡々と表現しているから、読者の感動を誘う。
 一方読者の立場から言えば、作者の指し示す現場に、作者と一緒に立ってみることである。そうすることで、作者の言っていないものまでもが、肌身に感じられるはずである。
雪晒し指の合図を妻と夫
吉田 洋子
 次席の一句も雪の作品になった。雪晒しとは、布を雪中に晒すことで、新潟の小千谷のそれが知られている。また私も時々入る福島・奥会津の昭和村の苧(からむし)織りも、この雪晒しを行う。一反の長い反物を雪上に広げて行う作業だから、端を引き合う二人も呼吸を合わせる必要がある。距離も遠いから合図は指で行う。しかもこの一句、「夫と妻」でなく「妻と夫」だから、リーダーは奥さんの方なのだろう。
楮晒す雪に残りし束の型
藤川三枝子
 和紙の原料になる楮は、皮をはいでからの作業が大変である。この一句のそれは、むいた皮を縄で束ねて雪の上で晒す作業なのだろう。雪晒しの終わったあとに、楮の束の形に雪がくぼんであるというのだ。俳句の場合は、この句のように「ある」という状態で手離し、「どうある」まで書かないことである。その手本のような一句である。
五平餅食へば風花奈良井宿
秋丸 康彦
 島崎藤村の『夜明け前』には、「木曽路はすべて山の中である」の文言がある。木曽十一宿のうち、藤村ゆかりの馬籠や妻籠は、観光客用に作られた風物が多過ぎるが、この句の奈良井は静かな集落である。ここから鳥居峠を越え、山中の芭蕉の句碑を拝し、お六櫛(つげ櫛)の産地、藪原への山道もまたいい。そんな宿で、木曽名物のあつあつの五平餅を頬張っていると、既に風花が舞い始めて、冬の気配というのだ。同じ藤村の『家』にも、「木曽名物の御幣餅を焼いた」の一文がある。
鱈船くるドッカと据ゑて大秤
蒲田 吟竜
 鱈はその字の通り、まさに冬の魚。しかも鰤や鰰と同じように、冬の日本海が荒れた日に獲れる。そんな鱈船が沖合いに見え、まさにこの漁港に着かんとしているのだろう。その漁港のにぎにぎしさが「ドッカと据ゑて大秤」で十分に伝わる。しかも秤だけでなく、仲買い人などの人の動きから、トロ箱の音、トラックの出入りなど、市場特有の風景までもが見えてくる。
箒柄の集まつて来る庭焚火
長谷川きよ志
 庭とは氏神様か菩提寺のそれであろう。大勢の人が集まって掻き寄せた落葉の山に、火がつけられた。すると箒を持った人が順次火の周りに集まってくる。「箒」でなく、「箒柄」としたところが、この一句の手柄でもあろう。
蕪鮓とどきて師走近うせり
栗城 郁子
 蕪と鰤を麹で漬けたのが蕪鮓で、石川県の名物。毎年、産地から作者のお宅に届くのだろう。これが届くと、もう十二月と反射的に思うのだ。その辺が人間の普遍を言い当てている。
萱刈れる大和にいくつ仕事唄
龍野 和子
 仕事唄とは、作業しながらうたう歌で、田植歌や木挽歌などのこと。私も子供のころ、「おっとちゃんのためなら、えんやこら」のような歌を随分聞いた。そんな歌が大和にたくさん残っていることへの作者の驚きでもある。
寒立馬冬の虹より降り立ちし
日高俊平太
 青森県の尻屋崎辺りに、冬も放牧されている馬が寒立馬。雨が降るたびに虹が立ち、その虹から馬達がさながら降りてきたようだ、と思う大景の把握が実にいい。
初買や明神下の麹店
天野 祐子
 明神とは神田明神のことだろう。また明神下とは、昔の都電の停留所名でもあった。かつて神田小川町の伯父の家に泊まると私も、翌早朝、この辺に甘酒や納豆を買いに行った懐かしい所でもある