1. 榎本好宏作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.10 2015年11月発行
榎本好宏 選

 戦後七十年ということもあってか、この夏はテレビや新聞にも、いろいろと特集が組まれた。それら特集に登場する戦争経験者、とくに戦地に行った人達は、八十代後半から九十代の人達だから、次の戦後八十年には、これら元戦士はほぼ皆無になる。戦後に生まれた人が八割というから、戦後八十年には、銃後にいた語り部は、当時子供だった私達の世代になるであろう。
 今月の巻頭に選んだ次の一句も、当然そんな世代の作品である。
長崎忌あの日晴れたるばつかりに
後藤 千鐵
広島に原子爆弾が落とされた直後、いろんな噂が、私達子供の間にも広まった。その一つが、この句にも言う天気の「晴れ」であった。晴れて太陽光がさんさんと降りそそいでいないと、この原子爆弾は機能しないということである。難しい理屈はともかく、国民学校、いや小学校二年生の私にもそのことは分かった。年代が私と近い作者も、その噂は知っていたことだろう。
 原爆が落ちてすぐ知ったもう一つは、「ピカドン」の呼び名だった。雷は稲光と雷鳴が一緒に起きると、家が焼けたり、大木が裂ける大事になり、私の疎開していた、雷の常襲地、群馬でも、「ピカドン」と呼ばれていたと思う。大分後になって分かったことだが、その「ピカドン」は広島の子供の命名だったことになっている。
 これらのことを私と同様に知っていた作者は、広島から三日後の長崎の報を聞いて、「あの日晴れたるばつかりに」と呟く。実に重い言葉である。
 ついでにもう一つ書きそえるが、B29や艦載機による日本全土への爆撃が始まる少し前、私の記憶では、昭和十九年の初めだったと思うが、ラジオの放送や新聞から天気予報が消えた。敵機への情報提供になるからだと、当時聞かされていた。
湘子の沖草田男の沖葉月尽く
佐藤 享子
  「湘子の沖草田男の沖」とは
  愛されずして沖遠く泳ぐなり  藤田 湘子
  玫瑰や今も沖には未来あり   中村草田男
の二句を指す。俳人なら誰もが口ずさめる名吟である。
 作者にとっても、海に向かって沖を眺めていると、必ずといって思い浮かぶ名句で、これら作品から、自らの詩心が突き動かされてきたに違いない。そんな沖も、どこか秋めいてきて、今、八月も終わろうとしているというのだ。
 草田男の句の出自は不明だが、湘子の句の「愛されずして」は、かつて親しくしてもらった湘子から、その真相を聞いているが、それを書いてしまうと、佐藤さんの折角の詩心を壊すことになるので、ここでは控えておく。
秋遍路海より星の昇ること
龍野 和子
 中国の北京の空ならずとも、都会地の空には星がほとんど見られない。私の住む横浜の夜空もしかりである。この句に言う秋遍路は、他人のそれではなく、ご自身の遍路なのだろう。夕暮れ近くまで歩いて、ふいと見上げると、東の空に星が満ちている。驚嘆しながらしばらく立ち止まっていると、星が次々に昇って来るのが見える。都会地からやって来た作者は驚いたに違いないことだろう。これも遍路の余恵かも知れない。技術的なことを言えば、「昇ること」に見事な時空が描けている。
山蒼し水なほ青し鮎の膳
篠田  游
 梁場で鮎を食べている場面を詠んだものだろうか。ここから見える辺りの山々は新緑の候、水音をたてて目の前を流れる川面にも、山々の新緑が映じてさわやか。こんな景なのだろう。少々余談だが、「あお」と言えば、青を始め、蒼や碧などがあるが、学校で教える常用漢字表には、青の一字しか入っていない。篠田さんは山の新緑に蒼を充て、川の色に青を使ったが、これらは篠田さんの心の色なのだろう。
この足は十一文か三尺寝
馬場 忠子
 尺貫法は昭和三十四年に廃止されているから、この句の十一文も三尺寝も、若い人達には分かりにくくなった。ここで言う十一文の主は、お盆に帰省したお孫さんの寝姿だろうか。立ち姿を見ていて大きいなとは思っていたが、足も大きい。かつて、「十一文大足」なる言葉もあったが、作者もこの言い方を思ったに違いない。昔、足袋を作ってくれた母の、私への言い方は、「十一文甲高」だった。
鳳凰を外し納める神輿かな
金田 弥生
 夏祭りも済んで、神輿庫に神輿を納める光景だろう。神輿の天辺には、金属性の鳳凰が飾られているので、神輿が近くを通る時は、担ぎ手の掛け声と共に、鳳凰の搖れる音がかすかにする。この鳳凰、古い中国では、麟、亀、竜と並んで尊ばれた瑞鳥だから、祭りが終わって外す折も慎重に行う。鳳凰を外し、神輿の担ぎ棒を抜いてやっと夏祭りは終わる。
どくだみの匂ふ手をして句の講座
髙部せつ子
 どくだみは薬草として採ったり、雑草のごと生えるので抜いたりする。いずれにしろ、どくだみに一日かかわっていたのだろう。しかしこの草の匂い、ちょっとやそっとでは消えない。その匂いを気にしながら、少々後ろめたい気持ちで句座に座っている作者が見えるようでもある。
蜩の鳴いて灯ともる妻籠宿
安田みつる
 妻籠は、木曽十一宿の中でも、馬籠とともに古い時代の様子を残している。そんな妻籠に蜩が鳴く夕方になると、街道のいかにも旅籠屋風の旅館に、一斉に灯がともるというのだ。妻籠に何度か泊まった私の常宿は「いこまや」と言い、そんな風情の宿だった。
山里の早稲の穂孕む日和かな
岡本りつ子
 岡本さんの住む福島県南会津町は、いかにも山里という感じのところ。中稲や晩稲はまだ花が咲いたばかりだが、早稲はいち早く穂を孕み、頭を垂れ始めている。その上を吹いてくる風にも、どこか実りの匂ひを感じる季節でもある。
みくまりの中州ひろびろ秋燕
早野 和子
 「みくまり」に漢字を充てれば水分、つまり水源を言う。雨の少ないこの季節、中州が大きく広がっている景なのだ。その州の上を間もなく南へ帰る秋燕が舞っている。