No.25 2018年5月発行
榎本好宏 選
この稿を書きながら外をふと見ると曇り空。そうだ、北へ鳥が帰る頃の鳥曇りなのだなと思う。歳時記の多くは、鳥が北へ帰る時節は、ちょうど曇り空の日が続くと素っ気なく書くが、それだけではあるまい。日本に半年間居てくれた鳥が春帰るに際して送る言葉はあまたあり、これらは日本人特有の惜別の思いなのだろう。先に書いた鳥曇りだって、せっかく目で見送りたい鳥たちが、掛かった雲によって見えないことへの無念の思いが強くこめられている季語だろうと思う。 さて、今月の「航路集」だが、相変わらず難しい漢語や、吟行にいった先の固有名詞を折り込んだ作品が多い。中でも固有名詞は、師の森澄雄の言葉を借りれば、「これが絶対」と思うもの以外は多用を戒めなくてはならない用語である。自作について、もう一度見直して欲しいと思う。 前書きが少々長くなったが、今月の巻頭句には次の一句を選んだ。 | 雪晴やどの角からも人の声 |
岡本りつ子 | |
この冬の雪国はどこも例年にない大雪が続き、心配していたが、このところ届く投句葉書のメモ欄には、雪融けの喜びを書いたものが多くなり、ほっとしている。 岡本さんの住む福島県南会津町も、俗に奥会津と呼ばれる土地で、やはり雪が多い所。ことしの何度かの大雪も、この地にも及んだに違いない。そんな大雪の或る日、突然の晴天に恵まれた。どこの家も、屋根の雪下ろしや道路の除雪に追われたことだろう。こうした土地には年配者も多いから、雪下ろしも雪搔きも、役場や結(労力を交換して助け合う組織)の人達の手助けがあるに違いない。 「どの角からも人の声」は、こうした人達の声なのであろう。もっと一句に込めたいことはたくさんあるに違いないが、ここで言いとめたことで、かえって読者の想像が広がる。俳句作りの手本ともいえる一句である。 | ◎ | トロ箱に雪の残りて糶仕舞ひ |
藤川三枝子 | |
トロ箱とは、市場などに魚を出荷する木箱を言う。藤川さんのもう一つの秀吟に〈雪囲ひ解きて廊下の長くあり〉などもあるので、この句も、雪国の漁港の市場の景であろうか。中でも今が漁期の魚、鰤や鱈、鰰などを扱う日本海側の漁港が想像できる。大声で糶にかけられ、魚を取り出したトロ箱は、手荒く隅に寄せられていく。そのトロ箱のどれにもまだ雪が残っているというのだ。「トロ箱に雪の残りて」のリアリティーが、いかにも藤川さんらしい表現になった。 | ◎ | 名山につづく道こそ恵方とも |
松崎 一男 | |
日本では、正月に歳神がやって来る方角を恵方と言い、年初めに、その方角にある神社や寺に参拝することを恵方参りと呼んでいる。作者は会津若松にお住まいだから、誰もが想像する恵方の名山といえば、会津富士の名で呼ばれる磐梯山だろうか。また、福島、新潟、山形の県境に見える飯豊山かも知れない。もし、この飯豊山なら、山頂に豊作祈願の飯豊山神社がある。いずれにしろ、作者の目指す名山に続く道こそが恵方であるとは、何ともめでたいことである。 | ◎ | 雪の嵩瓦のうねりそのままに |
髙﨑 研一 | |
この句に言う瓦とは、寺か特別な記念館のような屋根を瓦で葺いた建物のものだろう。作者は日頃、この屋根瓦の大きな“うねり”のような流れに感心していたのだろう。そこに大雪が降った。雪は流れ落ちることもなく、それまでの瓦のうねりそのままに、作者の視界の中に確とあった。作者の心中の瓦のうねりは、現から虚の世界に変じていったに違いあるまいと思う。 | ◎ | 駐在の壁より雫輪かんじき |
富田 要 | |
輪かんじきは、木や竹や蔓などを材に卵形に作ったかんじき。雪搔きのしてある雪道を歩くには必要ないが、交番の巡査とあらば、雪靴では入れないところにも出掛けるので必需品でもある。今、巡回から帰った巡査の輪かんじきが壁に掛けてあり、雫がしたたっているというのだ。実感が伝わってくる一句でもある。 | ◎ | まだ囲い解かぬ木々にも芽吹きかな |
馬場 良 | |
福島県の奥会津の雪囲いは並みではない。木々の雪囲いなども、四方から丸太を寄せて作るから、冬の雪の凄さが想像できる。それも高木だけでなく、躑躅のような低木にも、この丸太を使うから驚く。雪融け後の作業につい手間どり、雪囲い外しが遅れていたら、囲われている木々からはもう新芽が出ている。雪の到来も早いが、春のやってくるのも早い。 | ◎ | 春田打つ古墳の裾の土けむり |
蓜島 良子 | |
奈良辺りの風景だろうか。畑の中のところどころに古墳の高みがあり、その周りに田が広がり、今は春耕の真っ盛り。折から吹く東風が土埃を巻き上げているのだろう。今でこそ機械での耕耘だが、かつてなら鍬を打ち込む音だけがしていたかも知れない。歴史ある土地の一点景である。 | ◎ | 測量の男の蹴りぬ春の泥 |
原山テイ子 | |
街中を歩いていると、よく何人かの測量士のグループに出会う。周りを見渡しながら測量器を立てようとするのだが、どうも足許が定まらないので、邪魔な土塊を蹴ると土埃が立ったというのだ。「春の泥」としか言っていないが、一瞬春風に埃が舞い上がったことだろう。 | ◎ | 公園の蛇口上向くしやぼん玉 |
秋丸 康彦 | |
春になって公園等に子供達が集まり、動き始めると喉が渇くのだろう、水道に寄っては水を飲む。だから蛇口は上向きになったままなのだ。その「蛇口上向く」が公園の様子すべてを物語っているところが見事だ。 | ◎ | 隣席は豆撒きあとの慰労会 |
大須賀衡子 | |
隣室でなく隣席とあるから、レストランか居酒屋で席を隣り合わせたのだろう。隣り合ったのはいいが、隣席の連中、豆撒きの流れだから、どこか気合いが入っている。滑稽味のある出会いとなった。 |