1. 榎本好宏作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.5 2015年1月発行
榎本好宏 選

 父の蛇笏とともに、生存中に句碑を建てなかった飯田龍太さんの句碑が、昨年十一月十一日に、山梨県立文学館に建立された。句集『山の木』からの一句

  水澄みて四方に関ある甲斐の国

である。ご本人もそうだろうが、山梨県の人々が誇れる郷土の輝かしい一句でもある。
 もう三十年も前のことだが、その龍太さんから、芭蕉を中心にした近世の俳人評を書くよう、ご下命があった。龍太さんが責任者だったNHK学園の通信講座の機関誌「俳句」にである。私はひたすら、龍太さんが首を縦に振ってくれることだけを念じて、二年間書いた。
 この連載が終わった途端、今度は蕪村を中心にした近世の俳人評を、と言ってこられた。これも二年間の連載だった。書きながらいつも思ったことは、俳文学者でないのだから、俳人としての私論を必ず加えることだった。
 連載が終わるとすぐ、龍太さんから手紙が来、「山蘆に遊びにいらっしゃい」とあった。勇んで出掛けた私に、龍太夫人が、全食材を山蘆の庭から採った料理でもてなしてくれた。
 くだんの四年間の連載に、更に十六編を加え、『江戸期の俳人たち』の一本がまとまり、NHK学園の通信講座のサブ・テキストとして使われるようになった(後に飯塚書店から再版)。
 龍太句碑除幕の行われた文学館のある芸術の森公園内は、折から紅葉一色だった。私の
  ありがたう碑の面に銀杏もみぢして
は、句碑の前で呟きながらできた一句だった。
 ──今月の巻頭句は、迷わず次の一句を選んだ。
夕月夜ほとぼり残る登り窯
篠田  游
 電気窯の普及で、手間のかかる登り窯はいま、あまり使われなくなったと聞く。かつて私もあちこちで登り窯を見せてもらっているが、中でも、会津本郷焼の宗像窯で、七代目の宗像亮一さんから聞いた話が印象深い。
 この窯には七、八千点の陶器が詰められ、三日三晩火を焚き続けるのだという。火を止めてからも三日間、熱の冷めるのをひたすら待つのだそうだ。この一句の「ほとぼり残る」は、熱の冷めるのを待つ風景だろう。その「待ち」の時間の中で、どんな色の焼き物になるか想像しているかも知れない。夕月の光が、そんな思いを一層増幅させてくれてもいる。
夕薬師間引菜たんと貰ひけり
露木 敬子
 夕薬師とは、あまり聞き慣れない言葉かも知れないが、薬師の縁日の八日の夕方お参りすることを言う。特に目の神様として、私の子供のころは、はやり目にかかると参詣に出かけた。作者も参詣の折、親しい知人に出会い、いま採ってきたばかりの間引菜を貰ったのだろう。「もう、たくさん、たくさん」と言っているのに袋に詰めてくれる。しかもこの一句の手柄は、一見俗っぽい言葉で「たんと」と表現したところにあろう。
七日帰りせぬ母なりき送り南風
富田  要
 かつては旅に出かけても、病院からの退院の日も、七日目を「七日帰り」と言って嫌われ、一日延ばすことにしていた。そのいわれは、葬式後の初七日を連想するからと言われるが、その真意は定かでない。
 この作者のお母さんも、七日帰りを嫌った。季語の「送り南風」は、南南西の風で、お盆の精霊を見送ってから吹く。お母さんは、実家に盆の供養に行き、帰りを一日延ばしたのかも知れない。
新藁を枕に暫し食休み
吉田 一男
 今のようにコンバインで稲を刈ると、稲束はできないが、このお宅の藁は、機械の入らない小さな田か、段畑で刈った稲の束だろう。昼食のあと、その藁を枕に食休みしたというのだ。私が子供のころだが、「親が死んでも、ごく休み」のことわざがあった。この「ごく休み」は「食休み」のことだったが、それを真似ると、母から「食べてすぐ寝ると牛になる」と叱られたものである。
畳屋の天井高く今年藁
田口 愛子
 前句同様に、この句も新藁。畳床にするため、十分に乾燥させた今年藁が、畳屋の屋内に天井に届かんばかりの高さに積んであるというのだ。店内には、その新藁の匂いが充満していることだろう。この藁に丹念に糸を通して作った畳床の上に、藺草を織った畳表が張られる。この畳表の匂いもまたいい。どんなお宅に届けられるのだろうと、想像するだけでも楽しい。
手を止めて研師の仰ぐ秋燕
相川マサ子
 今でこそ刃物の研ぎ師は店を構えているが、かつては街中にやって来た。台詞の全部は覚えていないが、その一節に「ハサミ、バリカン研ぎ」があって、「研ぎ」を「トギー」とのばして呼ばった。水を汲んで刃物を研ぐ研ぎ師が一瞬仰いで、「秋燕」とつぶやく。そして、燕もそろそろ南へ帰るころ、間もなく涼しくなるな──と思っているのだろう。
長き夜や人を送らばなほのこと
小谷 迪靖
 私もそうだが、齢を重ねるごとに、親しい人がこの世を去っていく。その数も年々多くなっている。夜が長くなったなあと思っている作者にとって、人の死はまた重いのだ。
梟を久に聞きしよ明日は晴
齋藤 律子
 「航」の十一月の「歳時記ものがたり」に私も梟に触れ、梟が鳴くと翌日は晴れるという話を書いた。この作者の住む福島県の会津坂下町辺りにも梟がいて、親たちが言っていた「明日は晴れ」の言葉を思い出したのだろう。
達磨菊咲きて蕎麦屋に休み札
花村 美紀
 店先に達磨菊を咲かせている蕎麦屋なのだろう。蕎麦を食べに行ったら、休み札が下がっていて、残念と思う。しかし「蕎麦屋の」だったら、通りすがりに見た程度の意味で終わる。
落葉焚いつか火が消え人が消え
末永 淳子
 山のように集めた落葉が焚かれ、周りに大勢の人がいたのに、その焚火も消え、人もいなくなったという。俳句に大事な「時間」がこめられた一句になった。