No.18 2017年3月発行
榎本好宏 選
今年も全国の同人、会員の方々から、多くの年賀状をいただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。「航」もこの五月号で創刊四年目に入ります。さらに充実した雑誌にしていくつもりです。また、一月から有志の助力で「航」のホームページを開設しました。パソコンをお持ちの方は「航俳句会」で開いてご覧になってください。
さて、今月の巻頭には、次の一句を選びました。 | 鮠鮨(はやずし)の笹蓋はがす年用意 |
三瓶 一穂 | |
聞き慣れない「鮠鮨」とは、福島県の奥会津の只見町周辺で、正月料理として作られる熟鮨の一種である。この辺りで鮠と呼ぶ魚は「うぐい」のことで、「鯎」とか「石斑魚」と書く。なぜ「うぐい」かと言えば、只見川に棲む川鵜の大好物の魚だから「鵜食い」が語源ということになっている。 昨年、航出版から句集『只見川』を出した目黒礼さんも鮠鮨作りの名人で、私も礼さんの作った鮠鮨を何度か馳走になっている。味はと言えば、近江の鮒鮨よりしつっこくなく食べやすい。 夏に漬けこんで正月用の料理として開けるのだが、魚と魚の間に笹の葉がはさんであるのだろうから、その葉をはがす行為には「いよいよ正月」という感動もあろう。この句の作者、三瓶さん、去年入会した新人の一人でもある。 | ◎ | 冬薔薇や姉の手紙に余白なし |
八木美恵子 | |
八木さんはパソコンの使い手の名人で、前文にも書いたホームページの立ち上げの主力として動いてくれた人。これは私の想像だが、お姉さんはパソコンがいじれず、手紙などはすべて手書きなのだろう。これも推量だが、八木さんとは離れたところに住んでいるから、頻繁に手紙をくれるのかも知れない。それも妹への手紙だから気兼ねなく、書き終えた後に思いついたことを余白に書き込んでゆく。姉からの妹への思いをこめた手紙なのだろう。 | ◎ | 一の酉床屋の匂ひさせてゆく |
宮下とおる | |
床屋では仕上げの頭にヘアトニックを振り、整髪料を付けてくれるが、これらは安手で匂いが強いから半日ほど臭さが消えない。十一月の最初の酉の日に当たる一の酉に、床屋から直行したのだろう。その臭い匂いはともかく、神の前に行くに際して、身を清めた思いもかすかにあるはずだ。 | ◎ | 月蒼し雪踏む音の尖りけり |
石井 文子 | |
石井さんは雪国の岩手県のお住まい。だから「雪踏む音の尖りけり」に実感がこもる。昼間暖かいと積もった雪もゆるむが、夜になって急に気温が下がると雪は凍り、とくに表面はばりばりになる。この雪を踏んだ感じが「音の尖りけり」なのだろう。この言葉選びこそが俳句作りに大切なことだと思う。 | ◎ | 裸木に投網打ちたるやうな影 |
佐藤 享子 | |
おそらく欅のような大木の影であろう。影といっても完全に陽がさえぎられるわけではなく、薄ら細い枝の影が地面いっぱいに描かれたように広がる。その様子を比喩、それも「やうな」と直喩の形でとらえ、「投網打ちたるやうな影」と描いた。この方法は、太田かほりさんが連載「榎本好宏句集を読む」の中の第一句集『寄竹』でも触れているように、初期の私がよく使った方法でもある。「やうな影」だと「影」で言葉が終わるが、「やうに影」とすると、「影」のあとに省略された言葉まで読者は読み取れるはずである。 | ◎ | 綿虫や轍(わだち)に傾(かし)ぐ猫車 |
高部志づの | |
猫車とは、箱の下に車輪を一つだけ付け、これに手押し用の柄を付けたもので、車の入れないような所で荷を運ぶのに便利な代物。綿虫が季語だから、白菜などの冬野菜を運び出しているのだろうが、荷が重いだけに、車道に出ると自動車の轍に車輪をとられることが多い。綿虫は雪虫とも言い、私が三年半いた札幌では、十二月ごろ、この綿虫が舞い始めると、途端に小雪が降り始める──といった経験を何度もしている。 | ◎ | しろじろと砥石の乾く四日かな |
末永 淳子 | |
砥石にはいろいろあるが、台所に置くのは粗っぽく研ぐ荒砥と、仕上げ砥の二つがあれば十分である。家族の多いお宅では大量の料理を作るから、包丁もじきに砥石のご厄介になる。だから砥石はいつも濡れているものだ。この一句で言えば、三ケ日はお節料理を食べているから包丁の出番がない。砥石が乾いて白くなっていることに作者は驚いている。 | ◎ | けぶりたつやうに白梅咲きそむる |
山野美賛子 | |
梅の花は咲き始めると一斉に咲く。それも梅林のような木の多いところでは、この句のように花の輪郭が見えず、まさに「けぶりたつやう」に見えてくる。うまい比喩を使ったものである。 | ◎ | 老いにゆく桃吹くやうにそのやうに |
小谷 迪靖 | |
「桃吹く」とは、棉の花実が裂けて綿毛が出てくることを言う。これから老いてゆくわが身をこの「桃吹くやうに」あれかしという意になる。元句は「老いてゆく」だったが、この「て」では寂し過ぎる。 | ◎ | 雪に挿し子の合わす手や鳥総松 |
目黒 礼 | |
かつてはどこの家にも、新年の門松を取りはずした後、その中の松の一本を、そこに立てて置く鳥総松の習慣があったが、現代は住宅事情でそうはいかない。しかもこのお宅の場合は、その松を雪に挿したのだから、子供は生涯忘れないであろう。 |