No.1 2014年5月発行
榎本好宏 選
この稿を書いている今、外では強風が吹きつのっている。昼のニュースでは、これが春一番で、例年より半月遅れだとも言う。わがささやかな「航」の出航には少々強過ぎるかも知れないが、やがて順風満帆の風になることをひたすら願うのみである。 この航路集なる雑詠欄の投稿者も、「会津」のころに比べると、顔ぶれの半分が変わって、選者としては気の引き緊まる思いである。 冒頭の「航」のこころざしにも触れたが、自分の気付かない無意識下の己れに出会えるような句作りをして欲しいと、切に願うところである。今月の巻頭には、次の一句を選んだ。 | この町に利根ある安心春南風 |
安部由美子 | |
この方は成田市の方だから、大河、利根川の近くにお住まいなのだろう。その利根川も下流に近いから、対岸は遙か彼方だろう。その川面を春南風が吹き渡るというのだから、さぞや爽やかなことだろう。もう一つ選外になった一句に涅槃西風(ねはんにし)なる風も見られた。こちらは、釈迦入滅の涅槃会(陰暦の二月十五日)のころ吹く冬の名残りの風である。その涅槃西風が止んで吹き始めるのが、この句の春南風である。 この句の見事さは、「利根ある安心」と把握したところだろう。もちろん利根川から長い間受けていた恩恵の意もあろうが、山や川などに寄り添うことへの安堵感、その「安心」でもあろう。 | ◎ | いかなごの入荷の知らせ待つことに |
金田 弥生 | |
食いしん坊の私も、この作者と同じように「いかなご」の出回りを待つ一人である。漢字を充てれば鮊子で、関東では小女子(こうなご)の名で呼ばれている。この魚が獲れ始めると、関西ではどこのお宅でも、薄味の佃煮をこしらえ、近所に配ったり、知人に送ったりする。私などは親しい呑み屋に通って天ぷらにしてもらう。「いかなご」の漁期は四月ころから始まり、佃煮さえも六月には、店先から姿を消す。「入荷の知らせ待つことに」には、そんな「いかなご」への強い思いが乗っていよう。 | ◎ | 岐阜蝶を待ちたる人に雪解音 |
馬場 昭子 | |
この句の馬場さんは、私がもう二十年余も通っている、福島県奥会津の三島町の人だ。二十年前までは二千二百人いた町の人口も、今では千八百だから、まさに過疎である。ただこの町には芸術家、研究者が自然を慕って大勢入って住む。この句のモデルともなった蝶の蒐集家もそんな中の一人なのだろう。黄色と黒の縞模様の美しい岐阜蝶も、その蒐集の対象なのだろう。この雪解音の後に、じきに現れますよ、とささやいているようでもある。 | ◎ | 雪積みて業といふものどの家も |
日高俊平太 | |
この二月八日から二度にわたって降った東京の大雪は、二月末になって、やっと街中から消えた。そんな雪が屋根雪としてしばらく残った。その光景を作者は「業といふものどの家も」と表現した。業(ごう)とはもともと仏教用語で、前世の善悪の行為により、現世で受ける応報のことを言うが、そんな大仰なものでないにしろ、それぞれの家は、人にも言えない、ある種の重いものを持っている。その思いが、雪によって家が、ふたがれることによって、作者の心中に幻出したのであろう。 | ◎ | 目印の棒一本よ雪菜掘る |
齋藤 律子 | |
雪の多い作者の住む辺りの風土感がよくうがえる一句だ。いくら外気の温度が下がっても、雪の底の温度は意外に暖かい。仮に雪を除いてみると、青野菜は根を張って、葉を生き生きと雪底に伸ばしている。とは言え畑は一面の雪に覆われているから、目印の棒が一本立てられているのだろう。ただ、そこに辿り着くことも、雪を取り除くことも、想像以上に難儀に違いない。 | ◎ | 父が居て母ゐて日向ぼこりかな |
馬来まち子 | |
ここに描かれたお父さんもお母さんのことも過去のことに違いない。働き者の両親は、天気の日ともなると、寝具や衣類を日に干して埃を払ったのだろう。日向で遊びごとをしていた少女には、それが迷惑だったかもしれないが、日向ぼこりの舞うのを見るたびに、両親の立ち居振るまいが思われるという句意なのであろうか。 | ◎ | 蕗味噌や祖母の手帳のまた出番 |
斉藤 仲子 | |
春先に蕗の薹が出始めると、どこのお宅も蕗味噌を作り始める。酒の肴には、これにしくものはない。しかし、その作り方たるや家々によって少しずつ違う。一年に一度のことだから、その作り方もつい忘れてしまう。とならば、お婆ちゃんの書き残した手帳のご厄介になるというのだ。 | ◎ | まんさくの似合ふ娘を娶りけり |
吉田 一男 | |
「まんさく」は満作と書く。この木、西日本に多いが、春先に、葉が出る前に、黄色の四弁の目立たない花を咲かせる。そんな満作に似合う娘さんとは、どんなにか可憐なのだろう。 | ◎ | 寒明くる筆の穂先の割れしまま |
佐藤 享子 | |
正月の書き初めか、年賀状書きに使った筆なのだろう。その筆が穂先も揃えず筆筒に立ててある。作者は一月後の寒明けに気付く。あっという間の一月だった。 | ◎ | 追伸のやうに淡雪降りにけり |
柏倉 清子 | |
手紙の末尾に追記する追伸には、意外なことが書かれることが多い。雪国の、それも春間近の淡雪を、追伸のようだという比喩が微妙に面白い。 |