1. 榎本好宏作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.27 2018年9月発行
榎本好宏 選

 今年の関東地方は六月中に梅雨が明けたせいか、突然の猛暑にみまわれ、なかなか外歩きのできない日が続いた。投句者にとっても同じらしく、選を担当する当方を驚かせてくれる秀吟に出遭えなかった。
 日頃の句会でも申し上げていることだが、出来た作品をすぐに投句せずに手許に何日か置いて、その作品と向き合ってみることが肝心である。作った当初は主観がまさるが、時間をかけてそれらと向き合っていると、時間がたつに従って客観の眼差しが生まれ、目の前の主観を否定し始める。この過程を経て、人にも鑑賞してもらえる作品が生まれてくる。この作業なしに名作は生まれない、とまで私は思っている。「作った句は何日か手許に置いて向き合い続けてから出句する」、これを心掛けて欲しい。
 今月の巻頭句には次の一句を選んだ。
宿坊のわけても茄子の冷し汁
山野美賛子
 宿坊での料理とあるから、寺に泊まって食べた精進料理の席でのことであろう。仏教用語の「精進」は、美食を戒めて粗食を―精神修養をする―の意だから、仏教でいう「不殺生戒」に従って肉類は一切使わない。そんなことは当然承知の作者だが、宿坊で出された料理は格別だったのだろう。中でも、単純に作られた「茄子の冷し汁」がとりわけ旨かったという。しかも、表現に際して大仰(おおぎょう)な言葉を使わずに、さりげなく「わけても」とあっさりした言葉を使った。このごく一般的な「わけても」が、物事の実体と作者の思いを見事に言い当てていることを読者も学ぶべきだろう。
生身魂日のあるうちに帰しけり
別所 信子
 盂蘭盆会(うらぼんえ)は先祖の霊をまつる行事だが、生きている霊にも仕えるという考えから、お盆の間は父母だけでなく、目上の人などの長命を祈って祝い物を贈ったりするのが「生身魂」だが、本来の生身魂は両親だけを指してそう呼んでいるようだ。  それはともかく、この一句に則して言えば、息子や嫁いだ娘たちまでもが一堂に集まって、生身魂の親の接待をし、贈り物をしたのだろう。とは言え両親は高齢、足許の明るいうちに帰したというのだ。この一句の「日のあるうちに帰しけり」の表現は一見冷たそうにも見える言い方だが、親子という親しい関係の中での最高の優しさと言えよう。
初鰹一の鳥居を潜りけり
露木 敬子
 春になって本土に沿って北上してくる初鰹のいちばん旨いのは、相模湾辺りで獲れるものだと昔から言われている。芭蕉の句〈鎌倉を生(いき)て出(いで)けむ初鰹〉(元禄五年作)の鰹の行き先は、もちろん江戸を目指す。ここからは私の推量になるが、掲句の「初鰹」は、鎌倉の八幡宮への献上品だろうと思われる。多くの漁師と武士たちに丁重に担がれながら、今の由比ヶ浜辺りから若宮大路に入ると、現在の体育館前に一の鳥居があり、ちょうどこの辺りを大声で引かれていく姿を想像する。史実と違うかも知れないが、初鰹で賑わった頃の鎌倉から私はこんな光景を想像する。
一切の音の消えゐし籐寝椅子
藤川三枝子
 籐寝椅子なるものは年配者の日用品だから、作者の両親のものかも知れない。普段の掃除などの折りに触れているのだろうが、その椅子にどっかと座ったことはなかったに違いない。そんな籐寝椅子に、ある日、偶然に座る機会があった。体全体をフワッと支えてくれる豊かな感覚は、これまで体験したことのないもので、作者は一瞬、周囲の音が遮断されたように感じられたのだ。それが〝詩〟なのである。視覚や手の触覚でのみ接していた籐寝椅子が、体をもたせかけることによって別の感性が生まれた。大事にしたい一事である。
廻廊に火の粉の染みや走り梅雨
蓜島 良子
 「東大寺二月堂 二句」の前書の付いた一句。となれば、奈良・東大寺の二月堂で三月十三日午前二時ごろに行われる「お水取り」の痕跡が、この句の「火の粉の染み」ということになる。あのお水取りから三月余がたち、廻廊に残る「染み」から作者の心には大松明(おおたいまつ)の勇壮さが再現する。
山法師手折りてくるる十日月
花村 美紀
 山法師(やまぼうし)は五、六月ごろ、白い四片の総苞(そうほう)を花びらのように広げ、その真ん中に緑黄色の細かい花を付ける。その花枝を折り取ってもらって気付くと、既に十日の月が東に昇って見える。この句に引かれるのは、私の師、森澄雄の〈旅は日を急がぬごとく山法師〉(『鯉素』)が重なるからなのかも知れない。
若葉風山の芯まで戦ぎ入る
岡本りつ子
 岡本さんの住む福島県の南会津町は山の多いところ。若葉のころといえば梅雨の時節、吹く風は黒南風(くろはえ)。そんな山の木々の表面だけでなく、山の芯までそよがせて吹いているというのだ。
もう一度泰山木の花を見に
原山テイ子
 かつての、わが庭にも泰山木(たいさんぼく)があったせいか、花の咲くころには一日に何度も表に出て見上げたものである。そんな後ろ髪を引かれるような魅力が泰山木の花にはある。
蝙蝠を一番星に放ちけり
佐藤 享子
 蝙蝠(こうもり)は日暮れと共に周囲を飛び回る。そんな中の一羽が空に向かったのを一番星を指して飛んだと思う。いや、作者自身が放ったとしたところが面白い。
栗の花重さうに空支へけり
吉田 洋子
 重そうに、たっぷり咲く栗の花は決して美しいものではない。花自身が重いのだが、作者は梅雨時の厚い雲を栗の花が支えて重そうだと見立てる。