1. 榎本好宏作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.28 2018年11月発行
榎本好宏 選

小学校の社会科で習った日本の人口は八千万人、世界の人口は二十四億人だったが、七十年後の今は一億三千万人、七十六億人にふえている。その人達が電気やガス、水道を使い、部屋の冷暖房を使ったら、いかに広い地球上と言えど、空も海も汚れないはずがない。東京―大阪間を三時間でいけたのに、二時間半で行こうとしたら、たったそれだけのことで、結果的には同じことが言える。海水温が一度上がっただけで魚の棲む位置が変わり、台風の発生も多くなる。この夏日本を襲った台風二十一号も、北海道で起きた震度7の地震も、ことによったら地球の気温の上昇が影響していないとも限らない。こんなことを世界が案じる時代になってきたのかも知れない。
 今月の巻頭句は次の一句に決めた。
原爆忌話せるまでの七十年
蓮井美津子
 作者は広島か長崎で被爆した家族の一人なのだろうか。失礼ながら投句の葉書を紹介すると作者は戦後の生まれだが、それでも私には、ご両親か大事な家族をあの原爆で失われたのかと推測できる。仮にそうなら、物も食糧もない幼児時代を送ったに違いない。子供には口にもできない辛い思いがたくさんあったに違いない。特にそんな思いを誘うのは、中七の「話せるまでの」の文言だろう。この言葉の裏には「やっと人様にも話せる余裕ができた」という思いが強くこめられているからだ。
 私の父も、その二年前の昭和十八年のアッツ島玉砕で戦死しているが、貧しさと差別、中には銀行から「片親の子は採用しません」などと言われたことまでも含めて、七十歳くらいまでは一切戦争については触れないできた。その頃ドナルド・キーンさんに出会ったのだが、あの優しいキーンさんが、父の軍隊と戦った米軍の兵士だったと聞いたときから私の心の中の戦さは解きほぐされてきた。蓮井さんの「話せるまでの」の物言いに、どこか私と同じようなきっかけがあったのかな、とも思う。

瓜の馬少し傾く麵の鞍
見高美代子
 この句の馬は、誰もが知っているお盆の折に使う馬である。私達の周囲では胡瓜か茄子に苧殻を折った脚を四本刺しただけの単純なものだが、作者の住む辺りでは馬の背に、小麦で練った麵をのせ鞍とするのだろう。迎え火のときは、大方は子供が抱いて火をまたぎ祭壇に供え、送り火のときもやはり子供がかかえて火をまたぐ。しっかり取り付けてある麵の鞍だが、だんだんかしいできているというのだ。珍しいものを見せてもらった思いがする。
青瓢そぞろに酔うてをりまする
別所 信子
 青瓢は一般には青瓢簞と呼んで、軒下などの棚に吊って育てる。瓢などとも呼んで、高濱虚子の有名な〈ふくべ棚ふくべ下りて事もなし〉などという句もある。そんな青瓢を見ながら作者は杯を傾けているのだろう。やがて酔いが回ってきて、正直に「酔うてをりまする」とは言うが、その前に「そぞろに」の一言をつけて句は一変する。この「そぞろ」は、自分の意識の中に本来ある分別や思慮、良識などといった平衡感覚をはなれていくことだから、酒呑みにとっては願ってもない極楽ともいえる。この「そぞろ」なども、私のよく言う大和言葉の一つである。
送り火や父の生立ち訊かぬまま
髙﨑 研一
 新盆ではないにしても、比較的近い頃合いに先立たれたお父さんの送り盆だろう。男性にとっての一般論だが、母親とは何でも話せるのに、父にはそれができず、同じ酒席にいても一般的な話題になってしまうことが多い。一種の男同士の照れなのかも知れない。例えば逆に私の例だが、八十歳を超えた父親である私が五十歳の息子と向き合った場合、やはり生い立ちは、話せないというより、むしろ「話したくない」ことのような気がする。
秋風鈴鱒二龍太の置酒閑話
後藤 千鐵
 井伏鱒二と飯田龍太の共通点は川釣りが好きなことであった。そんな仲間が七、八人いて、時々寄り合って酒を飲む会を開いていた。ただし出席には条件があって、「一職業一人」と決まっていた。親しい友人が「君の職業の人はいないから」と私を誘ってくれたが遠慮させてもらった。ただし、毎回もらう酒席の様子の写真はこの句そっくりだった。
笠を背にいよよ夜流し風の盆
藤川三枝子
 改めて書くまでもないが、風の盆とは富山市の八尾町で九月一日から三日まで徹夜で踊り明かす祭り。観光客が夜九時ごろに帰ってからが本番で、作者も笠を背に夜流しに出ていくところだろう。
観音の千の手にある残暑かな
馬場 昭子
 馬場さんの住む福島県の奥会津も今夏は猛暑だったらしく、多くの方から野菜の不作の話などが伝わってきた。この句「千の手にある残暑」の表現がいい。
繕ひぬ漁網に紛れ日に焼けて
上春 那美
 漁のない時などの漁師は網のつくろいに専念する。体中が日焼けしているから、漁網の色と見分けがつきにくいのだろう。
まつさらな時に帰れと青田風
松本 玲子
 ここで言う「まつさら」は、天気のよい日くらいの意で、こんな日は家にお帰りなさいと青田風が言っているというのだ。
初紅葉川下りゆく木曾丸太
田口 愛子
 木曾は昔から良材の産地。木曾は川に沿って十一の宿があるが、中でも木曾福島は、こうした材の集散地として知られる。