1. 榎本好宏作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.19 2017年5月発行
榎本好宏 選

 今月の航路集の選をしていて強く感じたことは、普段使いつけない季語がたくさんあったことである。季語に少し詳しいことを自認している私にとっても、理解し難い季語を、これまた理解し難い方法で使った句が多かった。かつての森澄雄の名言、「使い勝手のいい季語を六、七十持っていれば十分」がしきりに思われた。ついでに書くが、読み方の難しい季語などには、私が振り仮名を、新仮名で振らせてもらっている。俳句のルールに反するかも知れないが、この欄の中には、俳句に手を染めたばかりの初心者も大勢いるので許していただきたい。
 今月の巻頭句には、次の一句を選んだ。
寒昴それぞれに指し別れけり
上春 那美
 改めて書くまでもないが、「昴」はおうし座にある星で、うち六星が肉眼で見える。そんなところから六連星(むつらぼし)などとも呼ばれている。「すばる」の読み方も、統べる星の意だから、古くから王者の象徴として使われたり、農耕の星としてもあがめられてきた。
 しかも寒の昴とあれば、大気が澄んでいるので凍空によく見えたに違いない。仲間の一人が「すばる‼」と指を差すと、連れて皆が指を差す。どんな仲間同士かは分からないが、この一事が、それぞれの余韻として残る、予期しなかった別れになったに違いない。

機町のしんと三日の空の色
髙部せつ子
 私の疎開した群馬の町も、織物で知られる桐生や伊勢崎が近かったせいか、どこの家からも手機(てばた)の音が「バッタン、バッタン」と聞こえていた。この機織りは主婦の副業だから夜中まで聞こえていた。この一句の機町(はたまち)から聞こえてくる音は、私の言う手機の音ではなく、機械織りのそれであろう。絶えず聞こえていたその音も、正月の三が日はぴたっと止んだ。外に出て空を仰ぐと、空の色までもがいつもと違って見えたというのであろう。
転げ出る片目の達磨どんど焼
齊藤 眞人
 古い祭りや行事が徐々に消えていく中で、どんど焼きだけは、まだ全国に残っている。私の二十年通っている福島県の奥会津では、塞の神の名で、このどんど焼きが行われている。小正月を中心に行われる行事で、火中に松飾りや注連飾りなどが投げ込まれる。この作者は達磨の投げ込まれる場面を見たが、達磨は丸いから、火中より転げ出てしまう。その達磨をよくよく見ると片目しか入っていない。つまるところ、願いの叶わなかった達磨だったのだ。このユーモアが、現在の俳句から消えかかっている滑稽なのである。
身の丈の俳句を賜へ初天神
天野 祐子
 正月の二十五日に、天満宮へ参詣することを初天神という。天満宮の祭神は菅原道真で、学問の神だから、作者は自らの俳句の上達を願ったが、それも単なる上達ではなく、身の丈にほどよい上達を祈ったという。人間とは弱いものだから、つい身の丈を超えたところで自己顕示欲をあらわにしがちだが、作者はそうした人間の弱点を知っていればこそ、「身の丈の俳句を賜へ」と祈るのである。
柄に残る焼印の跡鍬始
岡本りつ子
 作者の住む南会津町は、隣の只見町とともに、奥会津の中でも雪の多い土地である。その雪の消え始めるころ、どこの家でも耕しの準備を始める。まず鍬が準備されるが、どの鍬にも焼印が押してあって、たぶん祖父や曾祖父の代からのものだから文字も薄れている。しかも南会津町には同姓が多いから、屋号や名前の頭文字が焼印で押されてあるのだろう。そんな一昔前のことどもを想像しながら、鍬を洗っているのだ。
気散じの梅見何処まで越生まで
後藤 千鐵
 梅の咲くころ、作者は近辺の梅を見に出かけた。つい花に見惚れて歩いているうちに、梅の花の名所、越生(おごせ 埼玉)にまで来てしまったというのだ。この越生は、鎌倉時代から栄え、明治、大正期には絹の産地だった。「おごせ」は田螺の俗称「おこぜ」が変化したものと言われる。
酒林褪せて燕のくる頃に
宮下とおる
 いまではほとんど見られなくなったが、秋に新酒ができると、酒屋の店先に杉の青葉で作った杉玉を掲げた。これが酒林で、「新酒ができました」の合図でもあった。年が明け、春ともなると、酒林の緑色も褪せてくる。そんな時節になると決まって初燕がやって来るというのだ。
へつつひの壁に真白き火伏札
富田  要
 かつてはどこのお宅でも、火伏札を台所の壁に張ったものである。へっつい(かまど)があるくらいだから旧家か料理屋の台所だと思う。「真白き」とあるから、受けてきたばかりのお札だろう。陰暦の十月に、神々は出雲へ出かけるが、火伏神はその務めから出かけられない留守神である。
鰤豊漁湾は男の国となり
栗城 郁子
 鰤は冬の魚で、雷が鳴ると獲れるので、雷のことを「鰤起し」という。特に富山湾のそれが知られるが、その湾内はまさに「男の国」の表現にふさわしい光景になることだろう。
舫ひ綱張りては緩み春隣
赤木 和子
 港に停泊している船の舫い綱が伸びたりちぢんだりしている光景だが、冬と春の境目にはいろんな名の強い風が吹く。それが鎮まると本格的な春になる。