1. 榎本好宏作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.20 2017年7月発行
榎本好宏 選

 この春は寒い日が続いたせいか、全国的に桜の開花が遅れた。九州などでは、本州より大分遅れて満開を迎えている。
 福島市に花見山なる名所がある。この山は個人の所有で、先代から全山に花の木が植えられ、福島市の名所となっている。この花見山にちなんで俳句大会が毎年開かれているが、今年の大会には私も招かれ拙い講演をした。そのことはともかく、大会前日の四月八日に、この花見山に登った。私と行を共にした「航」の仲間七人と一緒にである。本来なら満開を過ぎているはずの染井吉野はまだ咲いておらず、この山の名物の十月桜が赤い花を咲かせていた。
 さて、今月の「航路集」だが、全般に叙述が多い作品が目立った。もっと言いたいことを省略した作品が見たいものだと思う。
 今月の秀句には、次の十句を選んだ。
笙の音のやうに出でけり春の月
田中  勝
 季節によって月の出方が違うことは、私も常々感じているが、春の月の出を「笙の音のやうに」と比喩でとらえた表現が見事である。仮に夏の月の出と笙の音の組み合わせだったら、そこに〝詩〟は生まれない。しかも春の月の語感には、どこか「朧」のイメージが加わるから、他の夏、秋、冬の月の出とは明らかに違う、その語感に説得力がある。
 五月号に宮下とおるさんが「俳句いろはにほ」の中でも触れているが、私も第一句集『寄竹』の中で比喩を多用した。その結果、己れの中の、己れの気付かなかった、もう一人の己れに出会うことができた。
遅霜の恐れのありぬ春満月
吉田 一男
 準巻頭にも春の月の句を選んだ。前句と違って、こちらは生活感のこもった一句になった。四月中旬から五月にかけての時節は、日本付近を大陸からの移動性高気圧が通過するので霜が降りることが多い。育ち始めた野菜などが被害を受けやすいので、畑近くで夜どおし藁や草を焼いて霜除けの作業をする。眼前の満月に感動しながらも、遅霜を案じる生活感のこもった一句と言えようか。
早苗饗の越後はいよよあを色に
永井  環
 早苗饗(さなぶり)とは改めて説明するまでもないが、田植えを手伝ってくれた人々に馳走する宴のことを言う。私も疎開先でこんな席に招かれ、尾頭付きの土産まで持たされる贅に驚かされたことがある。それまで雪に閉ざされていた越後も田が植わり、山々にも木(こ)の芽が目立ち始める季節、まさに「いよよあを色」の景なのだろう。私のいた群馬では、この宴を「まんが洗い」と言ったが、これは馬鍬洗(まぐわあら)いの略だということを、俳句を始めてから知った。
駅の名の武蔵つづきぬ陽炎へる
三浦  郁
 JRの駅名は、全国に同じものは一つもない。ここで言うそれは、土地の名前の上に「武蔵」の名の付く駅が続くのだろう。かつては埼玉、東京、神奈川を総称して武蔵と呼んだが、今では埼玉辺りを指して言う。駅に停まるたびに作者はその名を目にし、古い時代へ思いを馳せているのだろう。折りから外に見える景は、春の陽炎にぼやけて見える。作者の心中では現(うつつ)が、少し虚に変わり始めていたかも知れない。
桜蘂ふる九条を誇りとし
馬場 昭子
 五月三日の今年の憲法記念日に、安倍首相は自民党党首の名で、二〇二〇年までに憲法九条を改正すると述べた。戦争の時代を生きた人には辛いことである。アッツ島で戦死した父を持つ私も同じ思いである。作者もそんな年代なのだろう。その憲法記念日は、作者の住む会津では桜も散り、その蘂がしきりに落ちるころ。それを踏みながら憲法九条のことを思った。仮に桜の花だったら、かつての戦争の時代に流行した歌「同期の桜」の一節「みごと散りましょ国のため」につながってしまう。
瞽女唄のやうに海風三月来
宮下とおる
 もう瞽女(ごぜ)の存在を知る層も少なくなったが、この盲目の女芸人達は三味線を弾き、唄をうたいながら門付けをして金品をもらっていた。物の本によると、「葛の葉子別れ」とか「山椒大夫」「石童丸」のような七五調の曲が多かったという。作者も瞽女唄を知る由もないが、録音テープか何かで聞いて、穏やかな海のイメージを持っていたのだろう。それ故に冬の荒い海から、静かな三月の海を迎えて、こんな発想が生まれたのだろう。
薯植ゑて雨のひと日となりにけり
齊藤 眞人
 今は違うかも知れないが、かつてはじゃが薯を包丁で二つに切り、切った面に藁灰を付けて土に伏せ、上から土をかぶせた。だから雨でも降れば水分を吸い上げやすかった。薯を畑に植えた作者は早く雨が降って欲しいと思っていたから、翌日は一日雨となった。酒好きの作者のこと、少々飲み過ぎたかも知れない。
背戸口に笊が乾くや雛の家
髙部せつ子
 女の子のいる家では、雛祭りに沢山の料理をこしらえ、客寄せをするところが多い。このお宅もそうなのだろう。その料理に使った沢山の笊を背戸に並べて干したが、思ったより早く乾いたというのだ。
釣船の一艘沖へ落花のせ
大須賀衡子
 ここで言う釣船は、鰹の一本釣りをするような船ではなく、一般の釣り客を乗せた船だろう。船泊まりの海辺に植えてある桜の花が海からの風で舞い散り、この船上にも及んだのだろう。めでたい船出になった。
囀へ嫗顔出す躙口
露木 敬子
 「鳥交る」の季語もあるように、春は鳥の囀りが多い。この茶室の周りには木々があって鳥が多く来る。特に躙口(にじりぐち)の前に据えてある蹲(つくばい)には、水を飲みに多くの鳥が下りて来る。あまりの賑やかさに、嫗が躙口を開けて顔を出したというのだ。