榎本好宏 選

  1. 主宰作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.31 2019年5月発行

 この五月から元号が変わる。「航」の五月号が皆さんの手許に届く頃、ちょうど新しい元号になる。改めて「平成」の三十年を振り返ってみて、私にとっては毎日が忙しかっただけに随分短かったように思える。もう一つ私だけのことかも知れないが、「昭和」の時代には戦争があり、その戦争で父を失い、続く空襲、疎開の辛い時代を経験しているだけに、「昭和」の時代は、思い出すだに辛い時代であった。新しい元号の時代が、日本にとってよき時代であることを願わずにはいられない。
 さて、今月の巻頭句だが、迷わずに次の一句に決めた。


  

新しき呼び名三七日大寒に
富田  要
 作者の富田さんは、「航」の句会の一つ、「十日会」の会員で、体調が悪いながらも、両松葉杖を突きながら毎月の句会に出てきていた。しかし、その後体を更に悪化させ、去年七月から句会にも出て来られなくなった。
 今年の正月になってからだが、「富田さんの奥さんが亡くなられたようだ」との噂が伝わってきた。それも、病気をお持ちだったのだろうが、半月あまりの急変で逝去されたという。体の不自由な富田さんにとって、どれほど辛い急変だったろうかと思う。
 さて、その富田さんの一句だが、「新しき呼び名」とは戒名のことである。宗旨によって違いはあるが、このお宅の宗旨では三七日(みなぬか)、三週間の二十一日が過ぎると故人は仏になるため、それまでの俗名から戒名で呼ぶことになる。
 この決まりは宗旨により違い、わが家のように曹洞宗では、七週間目の四十九日(七七日)がその日に当たる。
 今まで奥さんの名を実名で呼んでいた富田さんにとって、戒名で呼ぶことは辛いことに違いない。その日がちょうど大寒だということも更に辛い。こんな心配をしていた富田さんが、三月の「十日会」の句会に現れてくれ、句会の後必ず寄る中華店で、以前同様にメニューを頼んでくれた。ついでながら書くと、在勤時の富田さんは中国に八年もいて、中華料理にも精通していたからである。心配していた私達の前にやがてお迎えの富田さんのお嬢さんの車が現れた。
花二十日うかうか日々を重ねゐて
永井  環
 「花二十日」なる珍しい言葉を使っているが、これは桜の花の「蕾七日、咲いて七日、散りて七日」の二十日のことを言う。〝時間句〟をよく作った森澄雄の影響もあってか、私の第一句集『寄竹』にも、〈花二十日滲みだしたる日本海〉(昭和50年)がある。桜の花の頃の浮世はとかくせわしく過ぎる。そんな時節を過ぎて改めて日本海を眺めていると、心なしか春の滲みが海に感じられる── といった意味になる。
 永井さんの「うかうか日々を重ねゐて」の文言にも、桜の時節特有のせかせかした世相を感じさせるところがある。
枇杷の花落つる音していとませり
吉田みちこ
 夏に実を付ける枇杷も、花は冬、それも正月の頃咲かせる。その花が落ちる音がどんなものか知らないが、恐らく静まりかえった中でしか聞こえない音ではあろう。場面は想像つかないが、作者は客人としてあるお宅を訪ね、久しぶりに会ったのか、延々と話し続けたものと想像してみる。長く続いた会話が途切れ、静かな時間がつづいた折、目の前の庭から枇杷の花の落ちる音が聞こえた。一瞬作者は「いけない」と思ったに違いない。よく聞こえる時報を知らせる鐘やサイレンなら一向に面白くないが、微細な枇杷の花の落ちる音に、おいとまの時間を感じたのだからいい。
雛納め夜の帷は紫に
太田かほり
 三月の雛祭りの雛は、出す時も嬉しいだろうが、納める時の喜びもひとしおだと思う。太田さんのこの一句は、ご自分の雛の納めを詠んだものだろう。そうでないと「夜の帷(とばり)は紫に」の詩は生まれなかったと思う。
 ことに紫という色は、貴族階級の専有物であり、誰でも身に付けられるようになったのは、明治以後のことである。『枕草子』でも冒頭の「春はあけぼの。……」の後に、「むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。」とあるように、紫の持つ伝統を中心に置きながら、雛納めの夜の帷の詩をそえた。
玄関の靴の増えゆく二日かな
蓜島 良子
 お正月の他家の訪問はなかなかむずかしい。「元日は避けよう」とか、「せめて三ヶ日は遠慮しよう」というのが当たり前だが、かつての本家、分家制度があった当時は、二日訪問があった。そんな名残りが今に伝わっていたのかも知れない。師の森澄雄が元気な時代のことだが、我々編集部四人は、毎年二日に森家に招かれ、皆で筆字を書き、澄雄の書を二枚ずつ貰って帰ったものである。
はぢ多き来し方なれや梅真白
小谷 迪靖
 こんな事を一切振り返らずに生涯を送る人も多いが、私は、師の森澄雄が大事にしてきた含羞という作風を追ってきたから、こういう作風にはついホロリとさせられる。しかし、澄雄と出会ってから五十年近く経った今、改めて求めている私の中の含羞(がんしゅう)は、「はぢ多き来し方なれや」という具象さえ消そうとする自らが己れの中に立ち上がりつつある気がする。
残雪や馬頭観音迄は未だ
渡部 華子
 このところ福島県の会津から届く投句用紙の通信欄に、今冬の雪の少なかったことを書いてくる人が多かった。ついでに夏の農業の心配も多く書いてある。渡部さんのこの句は辺り一面、残雪の時節とはなったが、参詣を待っている馬頭観音までは、まだ残雪が多くて行けないというのだ。
寒夕焼恵比寿像(えびす)の鯛に釣り糸も
龍野 和子
 七福神の一つ、恵比寿様は、烏帽子に狩衣指貫(かりぎぬさしぬき)を着け、釣り竿で鯛を釣り上げる姿をしている。普段は釣り糸までは付いていないが、作者の見たそれには糸もあったという。そのリアルさが驚きだったのだ。
鍋いくつ磨き洗ひて三日かな
岡本りつ子
 普段は少家族の生活をしているが、正月ともなると、子供や孫が一斉にやってくるから調理だけでも大変なことになる。その来客も次々に帰ると、一家の主婦は、大きな鍋をいくつも洗う羽目になる。
薄氷を割りて押し出す小舟かな
青山 幸則
 正月などが続いてしばらく使わなかった小舟だが、いざ使おうとすると、舟の周りは一面の薄氷(うすらい)。それを割って小舟を出すのも毎年の例なのだろう。