榎本好宏 選

  1. 主宰作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.41 2021年1月発行

 一年近く続くコロナ禍は、人間同士の交流の欠如につながる現象なだけに、俳人でもある私もその被害者の一人である。かと言って、そのまま被害者になりすます訳にもいかず、一工夫も二工夫もしているが、その一部をここで漏らすとすれば、少々難しい言いようだが、「個の発現」ということかも知れない。
 古い話になるが、私が俳句を始めて間もないころの事である。仲間と吟行に行った折、山中で私達の前に山楝蛇(やまかがし)が現れた。小さい蛇だが、体側に紅い斑点のある毒蛇である。辺りの風景に退屈しきっている私たちには格好の句材が現れてくれたのである。
 案の定、その夜の宿の句会は、かの山楝蛇が主役になった。その中の一人が、この蛇との出会いを比喩の形で「日照雨(そばえ)のやうに山楝蛇」と表現した。うまい比喩だなと思いつつ得心できなかった私は、

  朝凪のやうに現れやまかがし

の句を出した。驚きはしたが日頃目にすることのない山楝蛇との出会いに、皆が比喩の形でならうように作句した。もともと初心者の集団、こんなレベルに結論が出る話ではない。結論は上級審! つまるところ森澄雄選の雑詠欄に投句してみろ、ということで収まった。
 投句の結果は、仲間の不安に反して、日照雨の比喩の句も、私の朝凪の句も巻頭で選ばれた上に、私の一句には「作者の内部からの把握がある」なる選評も付いていた。これに意を強くした私は、この、物に例える比喩、それも直接例える直喩の句を当時多作するようになる。
 もう一つ、何かに直面したとき、考えることより感ずることを優先させてみると、それまで気づかなかった己れが次々に表れて来もした。これを秘かに「個の発現」と呼んで今日まで大切にしてきた。
 今月の巻頭には、少々迷いながらも次の一句を選んだ。
便りせず水の淡海も雁の頃
太田かほり
 この一句の背景に森澄雄がいることは、澄雄を師として四十年師事してきた私には、澄雄の雁の例句が

  雁の数渡りて空に水尾もなし
  首のべてこゑごゑ雁の渡るなり

のように次々に浮かんで来る。近江通いを百五十回も重ねてきた澄雄の旅のうち、二十数回は同行してきた私にとって、太田さんの一連の作品は、仮の方法として、私、榎本の立場として詠んだとしか思えないのである。
同じことは四句目の

  待たれゐる返書とつとつ雁の夜

にも言える。淡海の百五十回の旅のほとんどを同行したのが、「杉」の仲間で大阪の医師、岡井省二である。電話一本で淡海に集い、時に岡井家に泊まる。こんな日常の一つが、「返書とつとつ雁の夜」なのだろう。
 さて、〝私に見当たて〟と決めこんでいる筈の一句だが、「水の淡海も」でなく、仮に「淡海の水も」だったら澄雄の作品になりすますことさえ出来る。それほどリアリティを澄雄は大切にしてきたのである。
悦びにかはるひと手間渋皮煮
露木 敬子
 栗が出回り始めると、料理好きはまず渋皮煮を作り始める。私もかつて、見様見真似で渋皮煮を半日がかりで作り、その日の句会で配ってよろこばれたが、これなどは素人技。これに引きかえ、料理名人の誉れの高い露木さんの渋皮煮はもう一味違っているに違いない。そしてこの一句の手柄は、作者自らの「悦びにかはる」ひと手間をかけた──ということであろう。料理の出来の良し悪しも大事だが、その料理にどれほどの気持ちを乗せられたかに尽きるのではないだろうか。
芙蓉の実知足安分これからも
田中  勝
 「知足安分」は高望みしないことだが、「足るを知り分に安んず」とも読む。その意はともかく、ある年齢に達すると高望みは恥ずかしいことだが、作者の田中さんは「これからも」と言うから、高望みをしないことに徹してきたのだろう。そしてこの句の手柄は、合わせた季語に芙蓉の実を置いたことであろうか。そうすることで「知足安分」の強い意志が抑制された。
三人ゐてみな手酌なりあらばしり
三浦  郁
 改めて書くまでもないが、今年収穫した米で作った新酒が新走りで、酒呑みには待っていた代物である。手酌は普通は何でもない行為だが、当事者にとって、これほどの美酒はない。三人(みたり)の誰もがそれを分かっているので、相手に徳利を差さない。この作者もおそらく左党に違いない。
言い足らぬ胡瓜輪切りのごとくかな
目黒  礼
 誰でもある事だが、人と会ってももう少し言っておけばよかったという思いがある。そんな思いを胡瓜の輪切りに例えた。その比喩が絶妙に真実を言い当て、滑稽味を帯びているところが面白い。
玉の緒や秋田おばこの母なりき
渡辺美津子
 これは差別につながるから断じて口にしてはいけないことだが、東北から北陸にかけては一県おきに美人県があるという。その一つが「秋田おばこ」の秋田県。秋田娘がいつの間にか秋田美人として通るようになった。渡辺さんのお母さんがこの句のモデルなのだろうか。季語の玉の緒は「みせばや」のことで、格好の取り合わせになった。
銀杏の爆ぜて夕餉となりにけり
吉田 洋子
 夕飯の酒の肴に銀杏を煎っている光景。普段はあまり会話のないご夫婦だけに、銀杏の爆ぜる音で食膳に一種活気を及ぼす。
待つというよきこと今も草の花
小谷 迪靖
 そう言われてみると「待つ」という行為は若い世代の象徴的現象かも知れないが、その思いを今も抱く。季語「草の花」が見事に働いた一句。