榎本好宏 選

  1. 主宰作品 |
  2.  同人の秀吟 
  3.  |航路抄 
No.30 2019年3月発行

 今年のインフルエンザの流行はひどく、この稿を書いている一月中旬のニュースによると、患者数は百六十万人というから、ひとつの県の人口に相当する数になる。外に出ると私のような年配者は皆マスクをしているので、これを見るだけで恐ろしく、当然、家居の毎日になる。学校通いの子供を抱えた息子と娘の一家もインフルエンザにやられ、例年、私を含めて三家族で行う新年会は、珍しく中止せざるを得なくなった。
 さて、今月の巻頭句は、少々難しい句だが、次の作品を選んだ。


  

鞴始鼓動のやうに火の入りぬ
藤川三枝子
 今の若い人には「鞴始(ふいごはじめ)」がどんなものか見当もつかないであろう。幸い私の若い頃には、街中には鍛冶屋なる店があって、ここが新年に行うのが鞴始であった。鞴は、吹子、吹革とも書き、鍛冶屋が火をおこすときに風を送り出す用具、私が見た時代のものは、長方形の箱を気密にし、ピストンを足で踏んで風を送り出す装置と思っていただければいい。
 鍛冶屋なる職業は、今の世の中から消えていないから、作者は由緒ある施設で見たものであろう。子供の頃から見ていた私とは違って作者は、火が中心部から赤らんでいく様子を、「鼓動のやうに」ととらえたところが、手柄だったかも知れない。
庭師去り冬三日月の残りをり
岩井充子
 普通のお宅は、年に二回植木屋を呼んで庭木の手入れをしてもらう。しかし暮れの植木屋の多くは松の手入れが多く、忙しい仕事である。私が藤沢に住んでいた頃、我が家の植木の手入れを十二月に入ってから頼むと必ず断られる。その時分の植木屋は、海沿いの豪邸に呼ばれ松の手入れのさなかだからである。その松の手入れには鋏をほとんど使わずに、梯子の上から手で松の葉を抜いていく手間のかかる作業をする。
 さて、そう植木屋が帰った後、夕空を見上げてみると、それまで見えるはずのない三日月が、植木の枝の間にくっきりと見えるというのだ。
数へ日や舗道に洩るる花屋の灯
木村珠江
 師走も押し迫って、数え日の頃ともなると、正月用品を売る店以外は閉じて静かになる。家々の門口には松飾りが掛けられ、どこか正月気分の通りになる。ところが花屋だけは、松の内が長いだけに、出来るだけ正月近くに花を買う習慣がある。ただ松飾りを三十一日に掛けると一夜飾りといって嫌う風習もあるから、花屋も三十日まで店を開けておくに違いない。辺りが店を閉めて暗くなり始めた夜の舗道に、花屋からの光が洩れている、数え日の頃の光景なのだ。
声と灯のもれる幸い雪の家
末永淳子
 この作者の住む福島県喜多方市も雪の多い所。冬が近づくと、家中を板で囲い、庭木は丸太をそえて縄を掛けてくくる。雪の降る前はそれほどにしなくともと、素人目の私などには思えるが、いざ雪が降ってみると、この一句の仕儀になる。そんな雪の中、作者が表へ出て我が家を見返ると、いくつかの窓から洩れる灯と、僅かな子供の声が外に聞こえる。以外に単純に見える「もれる幸い」は、現地を知っているだけに重く伝わる。
人日や鐘撞きて身を軽うせり
上春那美
 除夜の鐘と違って、人日(七日)ともなると新年気分もやや抜け、鐘撞きも簡単にできるところがある。ちなみに人日とは、中国の古い習俗で、正月の一日から六日までは獣畜を占い、七日に人を占うところから出来た言葉で五節句の一つ。それはともかく、この日に撞いた鐘によって身が軽くなったという思いは男の私でも分かる。
山見ゆる席に両親牡丹鍋
天野祐子
 冬山のそれも雪をかずいた山の見える席に両親を座らせて牡丹鍋を囲んだというのである。と読んできたが、ここで言う両親とは、作者夫婦の両親という過去形ではなく、作者の子供さんがしつらえた席だろうと推測できる。猪肉の鍋をなぜ牡丹鍋と呼ぶかだが、猪の肉の色が牡丹に似ているので隠語でこう呼ぶ。猪は山鯨の呼び名もある。
初神楽床に映りし足袋の色
佐藤享子
 神をまつるため神前で奏するのが神楽。楽器は和琴、大和笛、ひちりきなどが奏され、舞人は榊などを持って舞うが、磨き抜かれて光るような床、そこに足袋が映っている。色とは言うが白足袋だろう。いかにも初神楽らしい場面になった。
菰着せて冬の牡丹となりにけり
石井公子
 冬牡丹は厳冬期に咲くように栽培された牡丹。夏に蕾を摘み取って力を蓄えさせ、冬にだけ咲くように藁で囲う。この藁の菰(こも)着せを見て作者は初めて冬牡丹と感じた。
浮くごとく十一月の雑木山
岡本りつ子
 緑に覆われた夏の雑木山、また雪に埋もれるごとであった冬の雑木山。これらと違って、木の葉を落とした枯れ木だけの十一月の雑木山は、作者にとって「浮くごとく」としか思えない存在なのだ。
上水に見入る太宰の懐手
髙﨑研一
 私達の若い頃の太宰治のファンは〝ダザイスト〟と呼ばれていた。後に玉川上水に身投げする太宰の心のありようが、懐手して、現の太宰像として描かれていようか。